薄羽カゲロウ日記(文月二十四日)

義経上洛記

 

 平家が壇の浦で滅んだという風聞が、京の巷のあちらこちらで流れはじめた頃、追討軍の総大将源判官義経が数百の兵を引きつれて上洛した。

 

垢じみた衣を着た卑しい民衆の中に公家の下男や僧侶などが混ざりあった群衆は、新しい為政者を見んと砂埃の立つ沿道にごったがえしていた。治承・養和の飢饉や相次ぐいくさで滅びたと思われた民衆もこの報をどこから聞きつけたのか、今日ばかりは潜んでいた破れ屋や山の疎林から蟻のようにぞろぞろと這いだしていた。白い毛のあちらこちらに泥のはねの固まりのこびりついた犬までも道にまろび出てきた。

 

やがて焼残った民家の高屋根で、伸びをしながら羅生門の方角を伺っていた肌着に荒縄を巻きまきつけた男が「くるぞっ。もうじきくるぞっ」と叫ぶと、民衆の雑踏は静まり、往来で遊んでいた子供はそれぞれの親たちに沿道に引き戻された。

薄羽カゲロウ日記(文月十七日)

皆さんは、田村隆一という詩人、作家をご存知でしょうか。

 

 私は田村氏の本と神戸三宮のあかつき書房で出会いました。

 

二階の左側の本棚に辞書のような分厚い本が5~6冊並んでいる。この作家はどういう作家だろう、と思って手に取ろうとすると、窓際に座っている留守番のオジサンが、怖い顔をしてジッと私をにらむので、本の背表紙だけをながめるにとどめた。振り返って、右側の本棚を吟味すると、今度は大石雅彦という作家の全集らしき本が同じように林立している。これもどういう作家だろうと思ったが、またにらまれそうなので、背表紙だけながめて立ち去った。

 

 あの辞書のような本を出している、田村隆一氏(と、大石雅彦氏)とはに何者なんだろうと謎のまま月日が過ぎた。すると先日、丸谷才一氏の『文章読本』のなかの例文として田村氏の文章が出て紹介されていた。『隠岐』という作品だが、以下のような文章を綴っている。

 

 船は隠岐最大の港、西郷に到着。れいによって、黄色のオンボロ・バックを手に町をうろつく。島根県隠岐支庁をはじめ、銀行、公社などがあるから、ちょっとした「シティ」である。パチンコ屋、ヌード小屋、バー、小料理屋、喫茶店、レストランなど、波止場のまえに、ズラッと並んでいる。ヤングが、オートバイで、けたたましい音をあげて走りぬける。それに観光色一色。ヤレヤレ。のどがかわいたので、喫茶店を二、三軒のぞいたがどこにもビールがない。

 

 

 私の感想は文章に独特の旋律があり、「軽舟にのって渓流を馳せくだるような」感じがした。今の流行作家でいうと町田康氏の文章と似ているのではないかと思いました。

丸谷氏によると、田村氏のこの文章は名文であり『陰影礼賛』と並ぶくらいの、と付け加えてもいい、と評価している。

 

  先日、勇気を持って古本屋の一階にいるオジサンに尋ねたら、田村隆一氏と大石雅彦氏の著書を集めるのは、店主の先物買いであるという。店主の慧眼、流石である。

 

 

薄羽カゲロウ日記 (文月十四日)

 NHKの「鶴瓶の家族に乾杯~鹿児島編~」をみていたら、鶴瓶氏が十四代目沈寿官氏宅を訪れていた。寿官氏は朝鮮の役で青磁器の陶工として強制的に日本に連れて来られ、後に薩摩焼というブランドをつくり上げた一族の末裔であり、司馬遼太郎の小説 「故郷忘れじがたく候」に描かれ、その存在を全国的に知られるようになった。

訪問した鶴瓶氏も司馬遼のこの本を読んで感動し韓国へ出掛けたそうで、いつもの鶴瓶氏のように傍若無人な態度は影をひそめ、粗相のないよう寿官氏に大変な気の使いようだった。

  

  話は変わるが、同じ頃作家として活躍していた吉村昭氏は司馬遼先生と仲が悪かったそうだ。丸谷才一氏に「多様な要素を平気で混在させる」「なんでもありの史的研究」これでは「どんな資料でもゴッタ煮に一つの鍋にいれてしまう大阪人気質」と言われているのも一緒だ。綿密に資料を調べつくして丹念に小説を書いていた吉村氏にとっては、司馬遼先生の総花的で大胆な歴史解釈に不満があったのだろう。

 

   司馬遼先生の小説はどの作品も明るく、本当にこんなことがあったのかと驚かされるエピソードが度々ある。

例えば「翔ぶが如く」の最初に出てくる、洋行した薩摩藩士が列車のなかで強い便意に襲われ、秘かに新聞紙を床に敷いて排便し、新聞を丸めて窓から社外に投げ捨てた。ところが、運の悪いことに保線夫にぶちあたり、怒った保線夫が警察にもちこむと、新聞の文字から推察するに日本人に違いないと断定した、というくだりがある。小谷野敦先生によるとこれは本当にあったことらしい。

 

それにしても、大阪の小阪に住んでいた大阪人の誇りである司馬遼先生の作品を、「ゴッタ煮」と呼ばれるのは心外であるが、小谷野先生の著書の年表によると、司馬遼先生は後に名作と呼ばれる作品を掛け持ちで書いておられたらしい。彗星のごとく亡くなられた先生の作品について、ある人が「司馬さんの一番の名作は」と問うと、意外にも短編小説を挙げる方が多いそうだ。勿論、今回NHKに放送された「故郷忘れじがたく候」もその一冊である。