薄羽カゲロウ日記 (文月十四日)

 NHKの「鶴瓶の家族に乾杯~鹿児島編~」をみていたら、鶴瓶氏が十四代目沈寿官氏宅を訪れていた。寿官氏は朝鮮の役で青磁器の陶工として強制的に日本に連れて来られ、後に薩摩焼というブランドをつくり上げた一族の末裔であり、司馬遼太郎の小説 「故郷忘れじがたく候」に描かれ、その存在を全国的に知られるようになった。

訪問した鶴瓶氏も司馬遼のこの本を読んで感動し韓国へ出掛けたそうで、いつもの鶴瓶氏のように傍若無人な態度は影をひそめ、粗相のないよう寿官氏に大変な気の使いようだった。

  

  話は変わるが、同じ頃作家として活躍していた吉村昭氏は司馬遼先生と仲が悪かったそうだ。丸谷才一氏に「多様な要素を平気で混在させる」「なんでもありの史的研究」これでは「どんな資料でもゴッタ煮に一つの鍋にいれてしまう大阪人気質」と言われているのも一緒だ。綿密に資料を調べつくして丹念に小説を書いていた吉村氏にとっては、司馬遼先生の総花的で大胆な歴史解釈に不満があったのだろう。

 

   司馬遼先生の小説はどの作品も明るく、本当にこんなことがあったのかと驚かされるエピソードが度々ある。

例えば「翔ぶが如く」の最初に出てくる、洋行した薩摩藩士が列車のなかで強い便意に襲われ、秘かに新聞紙を床に敷いて排便し、新聞を丸めて窓から社外に投げ捨てた。ところが、運の悪いことに保線夫にぶちあたり、怒った保線夫が警察にもちこむと、新聞の文字から推察するに日本人に違いないと断定した、というくだりがある。小谷野敦先生によるとこれは本当にあったことらしい。

 

それにしても、大阪の小阪に住んでいた大阪人の誇りである司馬遼先生の作品を、「ゴッタ煮」と呼ばれるのは心外であるが、小谷野先生の著書の年表によると、司馬遼先生は後に名作と呼ばれる作品を掛け持ちで書いておられたらしい。彗星のごとく亡くなられた先生の作品について、ある人が「司馬さんの一番の名作は」と問うと、意外にも短編小説を挙げる方が多いそうだ。勿論、今回NHKに放送された「故郷忘れじがたく候」もその一冊である。