薄羽カゲロウ日記(文月十七日)

皆さんは、田村隆一という詩人、作家をご存知でしょうか。

 

 私は田村氏の本と神戸三宮のあかつき書房で出会いました。

 

二階の左側の本棚に辞書のような分厚い本が5~6冊並んでいる。この作家はどういう作家だろう、と思って手に取ろうとすると、窓際に座っている留守番のオジサンが、怖い顔をしてジッと私をにらむので、本の背表紙だけをながめるにとどめた。振り返って、右側の本棚を吟味すると、今度は大石雅彦という作家の全集らしき本が同じように林立している。これもどういう作家だろうと思ったが、またにらまれそうなので、背表紙だけながめて立ち去った。

 

 あの辞書のような本を出している、田村隆一氏(と、大石雅彦氏)とはに何者なんだろうと謎のまま月日が過ぎた。すると先日、丸谷才一氏の『文章読本』のなかの例文として田村氏の文章が出て紹介されていた。『隠岐』という作品だが、以下のような文章を綴っている。

 

 船は隠岐最大の港、西郷に到着。れいによって、黄色のオンボロ・バックを手に町をうろつく。島根県隠岐支庁をはじめ、銀行、公社などがあるから、ちょっとした「シティ」である。パチンコ屋、ヌード小屋、バー、小料理屋、喫茶店、レストランなど、波止場のまえに、ズラッと並んでいる。ヤングが、オートバイで、けたたましい音をあげて走りぬける。それに観光色一色。ヤレヤレ。のどがかわいたので、喫茶店を二、三軒のぞいたがどこにもビールがない。

 

 

 私の感想は文章に独特の旋律があり、「軽舟にのって渓流を馳せくだるような」感じがした。今の流行作家でいうと町田康氏の文章と似ているのではないかと思いました。

丸谷氏によると、田村氏のこの文章は名文であり『陰影礼賛』と並ぶくらいの、と付け加えてもいい、と評価している。

 

  先日、勇気を持って古本屋の一階にいるオジサンに尋ねたら、田村隆一氏と大石雅彦氏の著書を集めるのは、店主の先物買いであるという。店主の慧眼、流石である。