薄羽カゲロウ日記(文月二十四日)

義経上洛記

 

 平家が壇の浦で滅んだという風聞が、京の巷のあちらこちらで流れはじめた頃、追討軍の総大将源判官義経が数百の兵を引きつれて上洛した。

 

垢じみた衣を着た卑しい民衆の中に公家の下男や僧侶などが混ざりあった群衆は、新しい為政者を見んと砂埃の立つ沿道にごったがえしていた。治承・養和の飢饉や相次ぐいくさで滅びたと思われた民衆もこの報をどこから聞きつけたのか、今日ばかりは潜んでいた破れ屋や山の疎林から蟻のようにぞろぞろと這いだしていた。白い毛のあちらこちらに泥のはねの固まりのこびりついた犬までも道にまろび出てきた。

 

やがて焼残った民家の高屋根で、伸びをしながら羅生門の方角を伺っていた肌着に荒縄を巻きまきつけた男が「くるぞっ。もうじきくるぞっ」と叫ぶと、民衆の雑踏は静まり、往来で遊んでいた子供はそれぞれの親たちに沿道に引き戻された。